企業が利益をあげるのは、社会に価値を提供した結果である。そして、その利益は当然、法人税や所得税という形で社会に還元される。それは「義務」であり、企業として果たすべき当然の責任だ。
しかし、もう一つの大切な問いがある。
「企業は文化のために、どんなことができるのか?」
この問いに対して、強いメッセージを発してきた経営者がいる。ベネッセホールディングスの福武總一郎会長である。彼はこう語っている。
「経済は文化のしもべである」
つまり、経済活動は文化を支えるために存在する。
利益を生み出すこと自体が目的なのではなく、その利益を使って、いかに人々の心を豊かにする文化に貢献できるか──そこに企業の真の使命がある、という考え方だ。
「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。これはフランス語で、直訳すれば「高貴さは義務を伴う」という意味である。
もともとは中世ヨーロッパの騎士階級に求められた倫理観であり、社会的地位の高い者ほど公共のために尽くす責任があるという考え方だ。
この精神は、現代においても、財を成した企業や経営者にこそ求められるべきものであろう。
儲かっている企業が、巨額の内部留保を抱えながら文化的な活動に一切関与しないとすれば、それは“ノブレス・オブリージュ”に反している。
もちろん、文化支援は納税のような「義務」ではない。美術品の購入や寄付は企業にとって「自由」であり「権利」である。
しかし、その自由を自分のためだけに使うのか、社会や未来の文化のために使うのかによって、企業の品格は大きく変わってくる。
文化貢献というと、ボランティアや寄付のように見えるかもしれない。だが、美術品の購入に関しては、単なる「消費」ではなく「投資」としての側面もある。
たとえば、化学メーカーのDIC株式会社は、マーク・ロスコやバーネット・ニューマンといった抽象表現主義の巨匠たちの作品を所蔵していた。しかし近年、それらの一部を手放すこととなり、大きな話題を呼んだ。
「なぜ名作を売ってしまったのか?」
「文化に対する裏切りではないか?」
といった批判もあったが、冷静に考えれば、それは企業として当然の権利である。
買った当時には誰も見向きもしなかった作品が、数十年の時を経て大きな価値を持ち、それを売却して会社の財務に貢献するというのは、まさに文化と経済の両立に他ならない。
本来であれば、その“先見の明”こそ称賛されるべきであった。
重要なのは、企業がアートを買うことで「正しい循環」を生み出すことである。
企業が利益を出す
その一部を使って美術品を購入する
長期的にその作品の価値が上がる
売却により得た利益で、さらにアートや文化に再投資する
このようにして文化を醸成する仕組みを社会に根づかせることが、企業のもう一つの使命である。
単に資産形成の一環としてアートを扱うのではなく、そのアートが社会に与える影響力まで含めて考えたとき、企業活動の本質はより深みを増す。
明治時代、渋沢栄一をはじめとする多くの実業家たちは、事業で得た財を文化や教育、福祉へと惜しみなく注いだ。
それはまさに日本版のノブレス・オブリージュであり、彼らの中には武士道の精神が息づいていた。
しかし令和の現代、人々の意識は「自分のため」に重きが置かれるようになり、文化や未来に投資する気概が薄れてきているように見える。
企業がアートを買うこと、それは単に部屋を飾るためでも、話題づくりでもない。
文化を守り、未来へ手渡すための“行動”であり、企業としての美学の表れなのである。